心に響く鴨志田恒世先生の言葉

はじめに

  新型コロナウイルス感染が始まって、既に一年を経過し、世界での感染者数が一億人、死者二百
 万人と、これまでの感染症とは比較にならない速度で拡大して、世界情勢の混迷、地球環境の悪
 化、先の見えない経済状況等々、と相俟って不確実性と不安の増大する中で、氾濫する情報の中か
 ら確からしさを発見し、心の在り方を保つのが困難な時代に突入しております。

  今求められるのは、確固たる精神的支柱であり、道標であります。一人ひとりの心の在り方が極
 めて大切になってまいります。一人ひとりが何を選択して、どう行動するかで、その総体としての
 社会の方向を、国家の方向を、いや世界の方向を決定するのです。

  私達人間、なかんずく日本人として、何を選択し、どう行動すればよいのでしょうか。
  そこで著書並びに遺された言葉から日本人としての心の在り方、勇気元気の出る言葉を尋ねて見
 たいと思います。

  著作集全体は、事実を挙げてはおりますが、具体的な問題を解決するための手法や技術、知識を
 与えるものではないことを断っておかなければなりません。
  先生の言葉は、人生を真剣に真実に生きようと、求める心に応じて、各人が持っている信念(行
 動の源泉)に働きかけ、気づきを与えて、ものの考え方の変更を要求し、信念の変革を促すもので
 。そのことによって、各々が背負う苦悩や不安に立ち向かう勇気元気を与えるものなのです。精
 神的な力なのです。

  その言葉が「ものの考え方が変われば、信念(心)が変わる。心が変われば言葉が変わる。言葉
 が変われば態度(礼儀)が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。
 人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる
」「真の幸福への道はここから始まる
 のである
」であります。

  多くの人達が人生は思い通りにならないと思い、諦めているか、あるいはそのことに反発して反
 社会的行動をするのか、あるいは自らに籠って世捨て人になるのか、幸福を願いながら不幸になっ
 て行くことのなんと多いことか。そして、その終局には自らの命を絶つような結果を招いているの
 が現実です。そうしたことの一番の原因は誤った、歪んだ信念(行動の源泉)なのです。そして、
 愛の乏しきことが、そうしたことが如何に社会を暗くし、活力を失わせているかを考えて見なけれ
 ばなりません。

  然し、多くの人達は、愛を求めて、心の底では幸福を願っているはずです。
  そこで「真の幸福への道はここから始まるのである」との言葉を受け止めて、そこから始めなけ
 ればならないのです。
  先生の言葉の全てが、それを促し、幸福への道を指し示していることを前提として、進めて行き
 たいと思います。

 

     人間の本質は即ち愛である(1)

  著書「〝愛〟の創造」の冒頭に、「同胞(はらから)よ、知慧の貧しきを嘆くことなかれ、愛の乏し
 きを憂えよ!
」とあります。

  そこで著書の中から「愛とは如何なるもの」なのかを尋ねてみましょう。
  「愛とは、精神的実体がその本質である。人間にとって、最も本質的な心の働きであり、また万
 物を育む心である
」と記されています。
  つまりは、私達人間はその愛の力が賦与されているということになります。 

  愛とは、アイと発音します。
  アは「天」の意味であり、イは「命」の意味であり、アイ(愛)は即ち「天の命」であり、無か
 ら有を作り出す力、創造力を現わす言葉なのです。

  つまりは、私達は天の命を頂いているということです。愛とは天の命の発動であり、力なので
 す。「人間の本質は即ち愛である」の言葉そのものなのです。
 端的に言えば、自分以外のあらゆる事物、動植物は言うに及ばず、存在する全てのものを大切に
 し、慈しむ心です。

  ここで大切なのは自分以外ということです。

  さらに「愛の本質は、単なる観念や、分類の中に在るのではなく、切なる思いと、行動の中に在
 り、さらに、高い次元へと創造されて行くのである
」と述べられています。
  また「人間の意識の本質は、空間性ではなくて、時間性なのであり・・・」ともあり、従って、
 愛も時間性なのです。即ち「愛というのは、結果ではなく、スタートから互いに助け合い、励まし
 合い、軌道修正をしつつ同じ方向を見つめて歩んでいくことであると言える
」と述べられておりま
 す。

  故に、互いを見つめることが愛でないこと、真実に向かって互いに助け合い、励まし合いながら
 進むことが愛の行為であって、他者との関わり合いにおいて発現せらるるものなのです。さらに
 が万物を育む心であるならば、この人は好き、あの人は嫌いという嗜好の中には愛はないのであっ
 て、イエスの教えにある「汝の隣人を愛せよ」「汝の敵を愛せよ」の中にこそ愛があることになり
 ます。

 

     人間の本質は即ち愛である(2)

  更に愛について尋ねてみましょう。

  「幽玄の世界」の追補版に、「創造生命の内分は愛であり、無から有を生じ、万有に遍在して万
 物を育む力である。キリスト教に於いては『神は愛なり』と言っているが、この意味において、こ
 の言葉は正しいと言えよう。愛は神の内分である。」
と記されています。

  新約聖書の中に「愛する者達よ、互いに愛し合おうではないか、愛は神に由るものであり、すべ
 て愛する者は神から生まれたものであって神を知るからである。愛なき者は神を知らない。神は愛
 だからである」(ヨハネの第一の手紙十四・七から)と端的に表現されています。故に、生きとし生ける
 もの全てが同胞なのであります。そして、同胞を育む心こそ神の愛であり、神愛(キリスト教でい
 うところの無償の愛=アガペー)であり、万物を育む創造のエネルギーなのです。その愛を人間は
 賦与されている将に神性に繋がっているのです。愛は姿も形もありませんが、私達はその存在を知
 っています。人間はその愛の結晶なのです。

  それ故に私達は愛を行じなければならないのです。愛はその行為の中にあり、奉仕の心なので
 す。

 先生の言葉

 「愛が愛のために行じ、愛が善のために行じ、そして、真理と社会、国家のために奉仕することこ
 そ真実の愛である」
男女の愛に始まって、親子の愛、隣人へ愛、社会や国家への愛、人類への
 愛と、時間と共に発展して、更に真理への愛と、真実の愛へ向かうことが愛の本来の働きであり
 
愛の行為の全てを表している言葉なのです。つまり、先に述べた、自分以外の全てに対する奉仕で
 あり、行為なのです。

  今日の社会は、社会や国家、他者に対する奉仕の心が薄く、自由と権利ばかりを主張する吾人が
 なんと多いことか。

         人間の本質は即ち愛である(3)

  「人は自分の死に直面した時初めて、それまで自分が果たしてきたことの空しさを覚えて、慄然
 とするのが常のようである」とあります。(人と思想「ハイデッガー」)から
  栄耀栄華を誇った豊臣秀吉も「難波のことは夢のまた夢」と、その空しさを吐露して最期を迎えた   
 と伝えられています。死の鏡を通じて生を実感するからです。

  然し、それでは遅すぎるのです。
  今日只今、この瞬間の生を実感し、充実した人生を送らなければならないのです。

  愛という言葉は、その為にはどのように行為し、生きて行けば良いかを私達に教えているので
 す。「人間の本質は即ち愛である」の言葉は、人間の行動原理の一切を含む真実の言葉なのです。

  愛情とは、愛に至らんとする心であり、愛そのものではないこと、犠牲のない愛はなく、犠牲の
 伴わない奉仕もないのです。

  愛の行為は、自らを滅することでもなく、無にすることでもなく、本来の自分自身を活かしきっ
 て、他者に生きることなのです。それが幸福への近道なのです。

       人間の本質は即ち愛である(4)

  ここではさらに具体的に愛について尋ねてみましょう。

 「真っ当な日本人の育て方」を著した田下昌明先生は、子育てに当たって「人は他人の為に生きる」ことを教えることが極めて大切であると言われ、自分の為だけに生きると必ず行き詰まり、これには例外はないと断言されています。そして、その事例として、パラサイト、ニート、ひきこもり、五月病、早期離職、育児放棄、乳幼児遺棄、同殺傷、離婚、同性愛などを挙げています。

  これらの根本の原因は、将に本来の愛の乏しきことに由来するものなのです。

  自分だけに愛を注ぐ行為ほど善くないことはないのであって、自らの咽喉を締め付け、窒息させ  
 てしまうということです。田下先生の言うところの「必ず行き詰る」も同じ意味でしょう。

 そこで、「自我の愛」「自己中心の愛」について理解を深めることで、本来の愛とは如何なる行為なのかを尋ねてみましょう。

       人間の本質は即ち愛である(5)

  現代は愛なき時代といわれ、科学技術の急速な発達によりその恩恵を被り、飛躍的な経済発展に
 より実生活が便利で快適になった一方で、人と人との関係が極めて希薄になり、その孤独の代償と
 して、物質的価値が最高のものとなり、それを獲得したものが名声や賞賛を得て、人間の生きる目
 的がそこにあるかのような状況になってしまいました。
 

  先生は「自我の愛とは自己保存の愛、世間の愛であり、自我から出発するもの一切の想い、一切
 の行動が自分に利益になるように仕向ける愛である」
それは「自己礼賛のために他人をかしずか
 せる手段としての愛である」
(悪魔の愛)と自己愛の姿を的確におっしゃっておられます。

  即ち、自己愛とは、自己の存立だけを目的として、自己自身の独善的判断によって他者を手段と
 して、学識や、地位や、名声や、経済的価値を得ようとする愛なのです。

  それならば本当の愛とは、自己の存立のために他者を手段としない愛であるとなります。つま
 り、他者を活かし、他者の中に自分が生きることであります。将に奉仕の心であります。

  先に述べましたように愛の本質は神に由来するからです。
 欲望を否定したり、学識や名誉や地位を、科学技術や経済や政治的秩序を否定するものではなく、
 それらは人間が生きる上で大切なものではあるが、本来的、全人格的に拠って立つ人間存在の意義
 と目的ではないからであります。それらの事柄が至上命令となり、自己目的化することが問題なの
 です。

       人間の本質は即ち愛である(6)

  能力も才能も人格の一部ではあるが、全人格ではないということです。まして、他者を自己の目
 的のために手段かすることは、その人の本来性・全人格を否定するものであります。個々人は、単
 独者として創造生命(神)の意思によってこの世に出現したものであり、夫婦関係も、親子関係
 も、他者との関係も手段ではないのです。先に述べました「愛というのは、結果ではなく、スター
 トから互いに助け合い、励まし合い、軌道修正をしつつ同じ方向を見つめて歩んでいく」
との言葉
 そのものであって、個々人の与えられた目的を果たして行くため人生であり、それを手段化するこ
 とは、個々人の本来の目的から目をそらせることであり、遠ざけることとなり、天意に反する行為
 であるのです。

  愛とは、他人との関わりにおいてその本来性を発揮して、相互に生成発展するところにあるので
 す。将に万物を育む心の発現であります。

  キリスト教が「愛の宗教」いわれる所以は、イエスが「汝の隣人を愛せよ」「汝の敵を愛せよ」
 の言葉によって、人間の本来性、愛の本質を、共に生成発展する存在であることを語ったからであ
 ります。

  本会の「・・・清濁併せ吞んでこれを再生命化して・・」とは、将に本当の愛の姿を、大海原
 (わたつみ)の営みに譬えて表現したもであります。

  従って犠牲のない愛はないのです。

  愛とは自らを放擲することでなく、自らを手段化することでもなく、まして自らを無価値なもの
 にすることでもなく、他者の中に生きることなのです。それが自己実現の究極の在り方であり、愛
 の行為そのものなのです。

       人間の本質は即ち愛である(7)

  事の大小はありますが、他者に対して自らを捧げる、犠牲を払うことが他者の中に自らを生きる
 ということなのです。

  さらに平易に表現すれば、他者に対してどれだけ心を寄せられるかが愛の行為の量であり、伝統
 的日本の心でいえば、慈しみの心であり、惻隠の心であり、情緒であります。心底から人の心の傷
 みを知ることであります。

  これがいざという時になかなか出来ないものです。そして、自らの行為が本当の愛なのか、自我
 の愛なのかがほとんど点検されていないところに問題が生じるのです。

  自我の愛は、時として、自己の目的を達成するために美しい仮面をまとって表現され、他者と自
 らを欺くのです。これがまた問題を複雑にしてしまうのです。
  自我の愛は、学識や、社会的地位や、名誉や、政治・経済や、宗教的敬虔すらその賞賛の中に自
 らを確認するために他者を価値あるもの、価値のないもの、どうでも良いものとして峻別するよう
 になるのです。

  現代において、美名に隠れてそうしたことが如何に多いことかを考えて見ましょう。
  その証拠に、問題が発覚すれば、自らの非は決して認めず、手段を選ばず自らを正当化し、ある
 ことないことの言い訳に終始することでよく分かるのです。(神経症、神経症的病弱型の傾向であ
 る)

  全ては自己保存の愛であり、世間の愛であり、一切の責任を外に置くのです。

       人間の本質は即ち愛である(8)

  イエスの言葉に、「・・・君たちの中で偉くなりたいと思う者は僕となれ」「第一人者になりた
 い者は、皆の奴隷となれ」
(ルカ伝22章24~27)とあります。

 先生は「下座につけ」とおっしゃっておられます。つまり、「愛の真の姿を学べ」ということであり、「他者に生きることを修練せよ」ということであります。

 先ずは自らが他者に主体的に従うことで、自らを活かしきって生きることを身に付けることなのです。また、反対に消極的に他者に寄りかかることは、自らを他者に委ねて安心を得ようとして、自らの責任を回避する態度であって、これもまた自己愛の表現でしかありません。


  無条件で従うこと、この修練がほとんど出来ていないと同時に難しいものです。
  「隣の夫婦喧嘩が、自分の心が至らないための出来事であると心を痛めることは、その想念は、よ
 ほどこの地上を汚すことなく、地上経綸に役立つものである」
と伺っております。

 なかなかこうした想いになれないものです。

  他者に生きるとは、こうして、全く関係のないように見えることに対しても、自らの責任と痛み
 を感じることなのです。(実は深い関係があるのです)また、「身内を愛することは容易である。他人
 を愛することは難しい。
他人を愛してこそ本当の愛である。それは他人が絶対多数であるから」
 もおっしゃっておられます。

  他者に生きてこその真実の愛の姿なのです。

  さらに続けて、他者に生きていれば、心に孤独はないはずです。それは他者の中に自らがいきて
 いるという充実感と連帯感があるからです。本来的・全人格的なものに拠って立つ充実感でありま
 す。

       人間の本質は即ち愛である(9)

  他者に生きるとは、母親が乳飲み子を、我が子育てている時の関係であります。

  母親の全力の愛が、乳飲み子に安心を与え、それを観る母親が充実感と喜びを感じ、さらに、愛
 を注ぎ、さらに子が安心を得る相乗効果であります。母親が子の中に生きるということです。これ
 が愛の原点であります。

  互いに手段としての対象ではなく、本来的・全人格を以て共感し、育み合い、共に成長するので
 す。これを通じて、さらに高い次元の愛に発展していくのです。

  将に愛は時間性であって、常に生成発展しなければならないのです。それが愛の本質であり、人
 間の本来の生きる姿なのです。即ち「人間の本質は即ち愛である」そのものなのです。
  昨今の母親がこうしたことが出来ずに、自己愛の対象として子供を手段とすることがなんと多い
 ことか。

  この解説の冒頭に、その著書「〝愛〟の創造」にあります「同胞よ、智慧の貧しきを嘆くことな
 かれ愛の乏しきを憂えよ!」
の言葉は、現代の愛の乏しき私達に、人間の本来の生き方に立ち返れ
 という、深い慈しみの心を以て、愛そのものの創造を訴えているのです。

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本日、鴨志田先生の御本が届きました。ありがとうございます。私は、「勇気・元気の出る言葉」を検索して、鴨志田先生に出会いました。早速本を読ませて頂いております。先生のお考えは、私の謎を解いてくださいました。わたつみ友の会さんには丁寧に対応していただき、安心してサービスを利用できました。

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このたびは、たいへんお世話になりました。ありがとうございました!知人にも、ぜひわたつみ友の会さんのサービスをお勧めしたいです。

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